J-POPにハマる⑤
楽しく数年間(10年ちょっと?)推していたアーティストさんですが、デビューからいた事務所の退所と契約レコード会社の変更によってだんだんと発信するものが減ってきてしまいました。
初めて入ったFCも本人の退所とともに終了。
情報難民。
ここがうまく行くかどうか。
これは芸能のお仕事する人にとってとても大切な場面じゃないかと思います。
その人は別の事務所所属ではなく、フリーで活動する道を選びました。
(イベントのときにお手伝いしてるスタッフみたいな近いファンさんは数人いたような感じ)
レコード会社変更して、最初の1年はシングルとアルバムは出してた記憶があるのですが、そのレコード会社の契約更新は無かったようで…
一時期たくさんあった音楽番組や音楽雑誌も淘汰されていってアーティストやバンドのメディアへの露出自体が全体的に減ってたと思います。
結果、過去作の楽曲を聴きながら、たまにファン友さんから「こういう事してるらしい。」という情報を教えてもらう程度に。
いま思い返してみると、ファンミでロンドンに行けて現地のライブハウス貸切りで大盛り上がりの限定ライブを見れた時に、このアーティストの最高の姿はこれだな!という大きな満足感(充足感?)があって、あの時の輝きがもう見れないんだな…
と実感する出来事を聞いたときに、ショックを受けて推す気持ちも離れてしまったのかもなぁ。
いまから20年くらい前の話ですから、スマホも無いし、パソコンも今ほど個人で持ってる感じではなかったですし(私も職場のを使ってて、個人では持ってなかった)、YouTubeやTikTokで露出というのも無かったんですよね~。
時代の移り変わり…(*´-`)
J-POPにハマる④
国内バスツアー参加の翌年、海外のファンツアーにも初参加しました。
それまでそのFCではハワイに2回ほど行ってたんだけど、私が行けるタイミングで発表されたのはオーストラリアのケアンズ。
時差も少なく、気候も治安もいい。物価もお手頃。空港集合・解散でほぼ集団行動で連れてってもらえる。
自分自身の初海外旅行としての安心材料がたくさんありました。
こちらも1人申し込みだったけど、2人ずつの相部屋で一緒の部屋になった子(自分は栃木、相手は北海道住み)とはその後もライブのときに会ったり、家にも1度泊まりに来てくれるくらい数年来仲良くさせてもらってましたね~。
母は『初めての海外旅行で1人で申し込みなんて、大丈夫かしら?!』と無事に帰ってくるまで不安で、父にはお友達と一緒に行ってると伝えてたらしいです(笑)
同室になった子の他にも、自由行動の時のオプショナルで一緒になった何人かとも仲良くなって写真を送りあったり(当時、携帯電話はまだありません💦 住所を聞いてお手紙で一緒に撮った写真を送るアナログなやりとりです)、アーティストさんにも顔を覚えてもらえたり。
ファンサービスたっぷりの海外ツアー。参加してみて、ものすごく楽しかったし、世界が変わった気がしました。
私の職場の夏休みは、同じ部署の人とシフトをずらして個別に取り合う感じだったので、翌年からもその海外ファンツアーに合わせて夏休みを取って参加するのが、私の定番になりました。
いろんな場所に連れていってもらって、旅行の楽しさを教えてもらったのも20代の心の財産として大きなものになりました。
今はなかなか国内も海外ファンミもできなくなってしまったけど、め。でもコロナ禍前は食事会とかファンミもありましたよね。
DD全体のバスツアーとかね。
また再開できる世界になるといいな。
絶対楽しいから、私もまたファンツアー行きたいな~♡
J-POPにハマる③
ツアーを追いかけるほどの度胸はまだ無かったけど、地元・栃木に来たときと東京近郊の会場に足を運ぶようになって、初めて行く会場もたくさんありました。
応援している数年のうちに動員数も伸びてきて、中野サンプラザやNHKホール、スタンディングだと当時はエムザ有明がだいぶ大きかった記憶です。
たぶんアーティストさん本人のお気に入り会場は日清パワーステーションだったんじゃないかな~。一番多く行った場所。
パワステ運営縮小・停止のニュースを見たときは何とも寂しい気持ちと、見やすくて中の雰囲気も素敵なハコだったのになぁ…ともったいない気持ちになりました。
(それから○○年後、今年、め。ちゃんが配信専用の会場になったパワステでライブをしたときはめちゃめちゃ嬉しかったし、ハコが甦ったことにも感動しました。)
推しのFC(ファンクラブ)に入ったのもこの時が初めて。
当時は携帯もネットの普及もまだまだな時代で、3ヶ月ごとに届く会報誌が最新情報やライブやイベント振り返りのメインでした。
(今ならメルマガとか、公式LINEや公式YouTubeでの動画とか、無料コンテンツもたくさんありますね)
そしてそして、FCバスツアーというものに初参加しました!
もちろんぼっち参加だったけど、各地から集まったファン同士、お部屋でのおしゃべりもすごく楽しかったです。
J-POPにハマる②
私がファンになったのはソロ活動してる人だったけど、当時はバンドブームのはしりでもありました。
J-POPが急成長していて、音楽雑誌やTVの音楽番組も増えて、それぞれ単独活動の他にも季節やシチュエーション等のコラボCDやコラボライブも賑やかでした。
(ここで当時の推しのヒントを言うと、N○Kの週一夕方にも音楽番組があって、その初代MCをしてた人です。)
メディアへの情報量や露出が多くて追いきれないほどのほうが、オタ活は楽しいもんです。いわゆる嬉しい悲鳴。
録画した音楽番組も毎日のように夜中まで見てたんじゃないかな。
高校を卒業して社会人になると、また再び東京のライブ会場にも足を運ぶようになりました。
J-POPにハマる①
高校になってできた友だちが
「みっちゃん、この人タイプそうじゃない?」って見せてくれたページのJ-POPアーティストさんが、本当にタイプな見た目で、記事を読ませてもらってすぐにレンタルCD屋さんに行きました。
当時のレンタル料金は「当日返却」「翌日返却」「一週間レンタル」とかだったかなぁ。
高校生なので、お得な翌日返却を最初は利用してたような…。
そうこうしてるうちに新譜が出て購入し始め、新譜(アルバム)が出るとライブがあるわけです。
そのアーティストさんは、最初はツアーで地元(私は栃木県生まれ育ちの、現・埼玉県住みです。)の会場にきた時に初めて行ってみました。
今まで通ってたミュージカルの3分の1くらいのお値段で、わー!とかきゃー!とか一緒に騒げて、コール&レスポンスもあるし何なら「一緒に歌おう!」みたいに盛り上がる曲もある。
全く違う世界だったけど、こちらもものすごく楽しくてそこからライブ通いのオタ活が始まりました。
ReLIT 東名阪ツアーの思い出③
ラストです。
【東京】
新宿駅西口方面に出るのは久しぶりでしたね~。
(新宿BLAZEやLIQUIDROOMは東口方面ですもんね。)
新宿レニーさん、東京でもお初の会場ってさらにテンション上がるぅ♪
この赤いLOVEの近く。近くのビル内のカフェで上演するお芝居を観にきたことがあったのでそのビルの前を通って懐かしかったですね。
端的に言うと、とてもいいツアーファイナルだったね。って言葉に尽きます。
はるきくんも戻って、7人で並ぶと無双感がある。めっちゃ強い。
め。ちゃんを見てても思うんですが、ライブ中に『俺たち最強』オーラが出てるんですよね。
それぞれの歌だったりダンスだったり、もちろん出で立ちや人柄も含めて「うちのメンバー、すごいから見て!」ってお互いの信頼感が伝わるんですよね。
1人ずつツアーの感想を話すMCでひびきくんが「メンバーみんなすごいんですよ。こんなにカッコよく歌って踊れて。実はリハの時にある曲で自分泣きそうになって。リハなのに感動しちゃって…。でもまだまだ、みんなで上を目指してがんばっていきます!」
みたいに真っ直ぐな言葉を言っていて、まさにそのお互いに認めあってる雰囲気が客席にも伝わってくるんだよね~って頷いてました。
3公演の中で、1番完成度高いパフォーマンスだったと思うし、何といっても曇天が流れてきたときの客席の「よっ、待ってました!」って盛り上がりとメンバーのノリノリな感じも公演ごとに高まってきてて、カテコの最後の演目くじ引きでまた曇天を引く神展開も素晴らしかった。
感動したわ~☺️
ライブ後の特典会でも、ひびきくんのところに行って
私『最後、7人でできてよかったね。なんかやっぱりこの7人て強いよね。無双感あるっていうか』
ひ「おぉ~ww俺たち強かった?」
『強い強いwwそれで安心感もあったし。本当に楽しかった~』
「うん、7人揃って、安心感はあったよね。自分でもいいファイナル迎えられたな。って思ってる」
いいファイナル迎えられたって話してる時のいい感じのドヤ顔見れたの嬉しかったなぁ♡
リーダー青ちゃんがMCで話してた言葉。
「今回はるきの事もあったけど、自分たちこれからもいろんな事があると思う。だけどひとつひとつメンバーとりりったーのみんなと乗り越えて進んで行けたら。と。
立ち止まるも一興、立ち止まっても後戻りする事があっても確実に進んでいければ良いと思うから。」
ぎゅっと想いが詰まってるね。
本人たちにとって、すべてがまるっと大成功って訳じゃ無かったかも知れない。でも今を受け止めて悔しさを糧にできる強さを持ってるよね。
これからのことも楽しみでしかないよ。
来年もライブになるべく足を運べるご縁がありますように♪
あ、あとね、りりったーの若い子達もみんな優しくて可愛くてリリ大好きで、愛しかった!名古屋も東京も物販からずーっと楽しかったな~。
そんな私の感想でした。
ReLIT 東名阪ツアーの思い出②
①の続きです。
【大阪】
大阪こそ日帰りできないし、今の私の環境では行けないな…と、思い込んでました。
中学生息子のコロナワクチン接種2回目も偶然この日になり、付き添いするので諦めもついたし。
でも配信リアタイしながら、ステージの熱量感じて『やっぱり生で見たかったなー!』とつくづく思ったので次の機会があれば大阪も行ってみたいな☺️
また年も変われば私のまわりの環境も変わるかも知れないし。
大阪公演は、はるきくんが体調不良で残念ながら欠席でしたね。
前々日なのかな?発熱(コロナは陰性)からの、前日は熱は落ち着いてきたのでパフォーマンス制限して歌のみ参加予定→当日朝、体調回復ならずライブ自体を欠席。
と公式からのお知らせが届くのを見守っていました。
はるきくんは、昨年のコロナ禍で休校等の措置がとられ10代の子達が欠席した配信ライブでもベビの大人組でがんばってましたし、まさかここで体調を崩すなんて本人が1番驚いたんじゃないかな。
デビューオーディションの暑い夏から、怒涛のスケジュールとここのところの急な寒さとツアー自体へのプレッシャーとか…
メンバーみんな同じ条件とはいえ、誰か崩れてもそれはおかしくないなと推察できます。
体調が悪いことを隠さず伝えることも、大切なことですよね。
オリジナル曲は本人の歌唱音源使って本来の歌割り通りに披露してました。
いかんせん、まだ新人グループでカバー曲も多いのでそちらの歌割りの再振り分けですよね。
リリちゃんたち、1人欠席してしまってもその分をうめられるだけのスキルはあると思うんだけど、初めて『7人じゃないライブ』をする事の緊張感はあったのでは。
何人かいつもより声がガサついて伸びない場面があったように感じました。(実際にあまり寝れてなかったのかも知れないし。)
でも6人でもしっかりアツいステージ届けるぞ!という熱量は本当に画面越しでも感じたんです。
初めての6人体制、乗りきってて素晴らしかったです。
来年にでも、7人全員でまた大阪行けるといいね。